癖〜過去のコーヒー豆店での出来事の回想

中毒と癖は似ている

習慣と中毒も似ている

物事にはまりやすく、熱中しすぎる自分には

それがいい方向に進んでいない 活かせていない

 

今の生活の中でコーヒーがないと私の気持ちは落ち着かない

 

いつからそうなったのだろう

 

きっと、20代後半でコーヒー豆専門店でアルバイトをしていた

半年間だろう

 

その店は小さなカウンター越しに

コーヒーやコーヒー豆を売る店だった

古本屋のひしめく街、大学や企業の多くある人通りの多い街

 

ビルを所有するオーナー社長が脱サラして

ビルの一角で

好きなコーヒーをもとに開業した店

 

働く人はたいていフリーター

私もその一人だった

プロポーズを受けてからほったらかしにして

何がしたいか分からず何となくカフェがずっと好きで

応募した店がその店だった

 

私より先に2人その店舗で働いていた

 

坊主に眼鏡ひげ、小柄でぽっちゃりした、微妙にアウトドアっぽいフリーター男性

→坊主と心の中で呼んでいた

 

近所の大学に通っていた優秀そうだが

細身の冴えない真ん中分けのフリーター男性

→ペンションと心の中で呼んでいた

(ご実家が群馬でペンションを営んでいたらしいから)

 

なんでこの二人は就職せずに、この店にいるのだろうという

当たり前の疑問を胸にしまいつつ

私もこの店で週4日アルバイトをすることにした

 

時給950円

 

コーヒー店にしては当時この時給はよかったと思う

福利厚生なし、経理は社長の奥さん

 

もともと、コーヒーは好きだったが

この店で完全に中毒になったのは間違いない

 

焙煎は社長が他の店舗で行う

店にはコーヒーのいい香りが常に漂う

1日3回、本日のコーヒーが入れ替わる

店の中でスタッフはコーヒー飲み放題

 

そして、コーヒーが美味しい

豆ごとでこんなに味が違うのだということを

初めて知った

 

おかげでブレンドコーヒーには一切興味がなくなった

 

今は、コーヒーが飲みたいというより

コーヒーを淹れるという行為をしたい欲求もある

 

体に良くないと分かっていても辞められない

良くないことの方が中毒になると辞められないように感じる

 

麻薬、ドラッグ、セックス、暴力

 

ネガティブだからそう思うのだろうか

コーヒーと同じと考える時点で論点がズレているようにも思うが

快楽に繋がることは、人は強い意志を持たないと

断つことが出来ないのではないだろうか

 

どこかで、それが癖になることを刷り込まれ、経験して

自分の体や心に染み付いてしまう

 

それってポジティブなことでも

例えばヨガ修行に心酔しすぎている人とか

ベジタリアンとか、

健康のためにやっているとしても健康に見えない人もいる

 

癖と習慣と中毒

 

いいも悪いもバランスなのだろうか

 

天の邪鬼な私は

バランスという言葉がきれいごとのように聞こえる

 

人間そんなに綺麗に生き続けることは、簡単ではないと思う

 

癖の話から脱線してしまいそうだが。。。

 

頭では、みんな分かっている

これをした方がいいとか、これは辞めた方がいいとか。

 

でも、それが癖になっている人はそのことを始めたり

そのことを辞めたりする行動をすることが

簡単ではない

 

感情ではない、思考でもない。

 

ただそれをするだけのこと。

 

人間はそれをするだけのこと、そんな簡単なことも出来ない

 

いろいろ理由と言い訳を作って

それをしないだけのこと。

 

言葉ではなんとでも言えるんだよなぁ

でも、言葉も大切なんだよなぁ

 

自分を変えることは容易ではない

 

そんなこと考えながら今もコーヒーを飲んでいる