動物

小さい時から、何故か動物が好き

 

あの、無条件で可愛くてまんまるの目がピュアだと思って。

 

赤ちゃんと一緒なのかな

動物でも赤ちゃんでも成長と時間とともに自我や本能が芽生えて

どんどん変化していく、少しずつ牙がむき出しになる

 

犬は、信頼関係が築ければ飼い主のことを忠実に待つ

待ち続ける

暗くて狭い静かな部屋の中でいつまでも。

だって部屋や家から出ることは教わらない

人間の都合で

嬉しくて吠えたって、悲しくて鳴いたってうるさいと怒られる

 

帰ったときに、無条件で飼い主を受け入れる嬉しさを

身体しっぽ舌耳全部で表現する

言葉が通じないからこそ、全部で愛情を飼い主に向けて注ぐ

こっちを向いて欲しいから、ただ一緒にいるだけで幸せだから

 

本当の、気持ちや痛みは犬同士でしか分からないけれど

多分、違う生き物だとしても通じ合っている瞬間だと思う

 

そもそも、「飼い主」っていう言葉

「飼う」って言葉が間違っているんだと思う

人間が勝手に作り出した言葉と関係

本来は「共生」しなきゃいけない

 

割り切るとかそういうことじゃなく根本的に

人間が犬を支配してることが今の関係だと思う

 

その支配関係の中でうまくいく関係もある

今は、うまくいかせないとならない時代

 

おかしいでしょ。

 

動物園も水族館もおかしいと思う

安全でいつでも餌にありつけるけど、それは動物や魚にとって幸せ?

それは、彼らにしか分からない

 

サーカスもおかしい

動物やピエロを笑い者にして、滑稽、それになんか不気味

 

でもね、人間の間にもこんなおかしな関係はいくらでも存在する

子どもと犬って似ている

とにかく愛情を必要としていて、愛情を表現するのが素直で下手で

泣き虫で我慢強い

 

何かを何かの力で押さえつけて支配して支配される関係

 

どす黒い重たい鎖につながれたサーカスの象みたいに。

賭けのためにお尻を鞭で叩かれる馬みたいに。

 

人間は言葉を発することができる。抵抗することができる。

勇気と協力と強さがあれば。

ただ、子どもは?

子どもだって言葉は足りない。

 

考えても仕方ないことってこの世に存在する

自分とは関係ないから他人事だし、知らない人だし。

動物だし、きりがないし。自分には力がないし。

 

自分は、そんな他人事までも自分のことのように考えて

メンタルをやられてしまうことがしばしば。

考えてるだけ。言い訳だけ。

 

出来ルコト何かしたら?

ドコまでできる?

 

その世界に足を踏み入れるのが怖い

 

でもさ、やっぱり犬が身体で喜びを表現する姿も

子どもが笑っている姿も

そこには、なんの疑いもない幸せが見えるでしょう

 

世の中の辛く悲しい出来事の裏側には、楽しいことだってたくさんある

いなくなりたいと思う時にても、自分のことを感じてくれている人はいる

 

もしかしたら、動物園や水族館が好きな動物や魚だって

いるかもしれない。

自分の価値観を押し付けることは、間違っている

 

自分のなかのそんなモンスターを変えていく必要、

今がそのとき。