にんともかんとも

風邪引いた

今の自分が風邪を引くのは、とてつもなく、だらしがない。

 

喉の奥に、明らかに菌がいる

 

土曜日に自宅に帰ってきた時号泣した

 

今は外出しても、買い物の時も声がでない

電車に乗っても前を向けない

温泉に行っても、リラックスできない

 

とりあえず、顔色が悪い、魅力が皆無

でも、多分病気じゃない。

 

今を必死に生きていないのに。なに弱ってんの。

 

風邪をひくと必ずCCレモンが飲みたくなる。

ゼリーが食べたくなる

母がよくそうしてくれた。これはよい思い出?

 

わたしの中で善悪の判定がおかしいことは

昔からよくあったこと。

 

自分がよければそれでいいのと同時に

人がいいと思うものも、無理矢理受け入れてきたこともある。

自分がよしとするものを人に伝えて納得させる術を知らない。

伝えたい意思はあるけど、いつも、諦めてきた

小さなあきらめが日々毎日あったと思う

 

それから、自分の意見を人前で発することがほぼなくなり

周囲からは、自分をもっている優しいひと。

でも偏屈なひと。

そう思われてると思う。

 

どこが?

 

ただ、自分の殻に籠って、ビクビクして、

弱みを見せないように強がって

自分が分からなくなって、たまに一人で泣いてる臆病者。

 

なのに、自分の変えたい部分に触れられると

すぐに逃げ出す。最低です。

 

自分をいたわることを知らない大人は多い

 

自分に厳しく、他人に優しく?

 

ほんとに意味で自分をいたわらないことには

他人に優しく出来ない

 

自分のことだけ考えていたら

きっと、みんな離れて行ってしまう

でも、今は自分のことを徹底的に考えて変えていかなければならない時。

離れていく人は、無理矢理止めることはしない方がいいとき

執着と心配と愛情は違う

 

何が自分にとって一番大事なのか

誰がそばにいて欲しいのか

何を大切にして生きていきたいのか

 

いつもいつも、そんなことばかり考えていると

煮詰まって、発狂したくなるけど

これを紐解かないことには、何も進まない

 

今までは、捨てることばかりして関係を終わらせてきたけど

ほんとにそれでいいの?

関係を見直してもわたしが人生舐めてた、相手を舐めていたんだと。

でも、同時にそれはどこか相手にも伝わっていて

相手もわたしのことを見限っていったのかもしれない

相手の気持ちもわたしからなくなっていったってこと

 

それは、自分が原因を作ったけれど

相手も諦め、同じ人生じゃなかったってこと

そう納得するしかできない

 

それがその時の自分なんだから。

それがそのときの相手。

 

過去の自分がいて

今の自分がいて

その今の自分の近くにいるのが

今の自分に大切な人なのか

それとも、これからにもお互い必要なのか

 

単調な日々の中で小さな幸せを見つけることが幸せなの?

それは、一般論なのか自分にも当てはめたいのか、

自分にもそれが幸せなのか

 

自分の中の黒く凝り固まった、

ヘドロのような感情を

ごっそり、

取り出して浄化したい

 

自分を大切に。。。

 

そんな難しいことだと思わなかった

 

攻撃的な気持ちと野心を少しでも軽くする方法が

わたしには必要

でも、野心をなくすとわたしはわたしでなくなる

 

近づくいて来る、好意をなぜ心地よく感じることが出来ないのか

自分が変わることが間違っていると思ってるのかもしれない

 

偏りすぎた意識を一遍するほどの出来事

いつもそれを探して待っているだけ。

 

いつかどこかで、感じるはず

 

そのとき、ほんとの意味で自分が生きてるということ

感じるはず

 

今は生きているけど生きていない