311

4年。

あの日から4年。

 

その4年で自分はどのくらい変わった?

 

結論何も変わっていない

中学生になったときも高校生になったときも

エスカレーター式の女子校だった自分には何の変化もなかった

 

だれにでもくる思春期に傷ついたけど、それは自分にだけあるものじゃない

自分が傷ついたのと同じくらい誰かのことを傷つけた

 

何かに熱中することもなく。

誰かに恋することもなく。

何かを相談して誰かと涙することもなく。

これだと思うものを見つけようとしなかった

 

なんか、その部分が欠如してる

友情

「わたしたち親友だよねー」「青春だよねー」ということを

平気で言葉にする嘘くささも横目でバカにしてた

それって、胡散臭いけど自分には関係ないことだと思ってた

嘘とほんとの交えた会話。苦手だった

社交辞令とかできなかった、本音を出せなかった

 

自分と全く同じ人なんていないけどどこかで、

分かり合える関係をさがしてた

立場も、家庭環境も、気持ちも同じひと、男でも女でも先生でも大人でも

 

ただ何となく毎日流されるままに制服きて、真面目に?学校に言って

騒ぐ友達の輪から外れて、

でも、いじめられる訳でもなく、

冷めた目で見てた

友達もいた

 

結果、自分を持っているひとと思われてた

全く逆なのに。

 

群れることができないだけ

でも、勉強が好きだったわけでもなく勉強ができたわけでもなく。

むしろ、下の上

びりでもない中途半端

スポーツに熱中することもなく。中の中。

アイドルグループにはまることもなく。

 

何人かと交換日記したりしたけどいつかは、

飽きていつの間にかやらなくなって。

 

思い出してみると手紙や文字を書くことは好きだった

でも読書は好きじゃない

好きなときもある。でも、文学少女でもなかった

 

何かに本気になることを探していたのに

何かに本気になることを拒否してバカにしていた

 

ただ、単に自分の気持ちを何かに表したかったのかもしれない

THE自分勝手。

 

初めて書道で書いた、文字

「おてがみ」

別に書道が好きだった訳じゃないけど

なぜか、何度も何度もノートの切れ端に、折り込みチラシの白い面に

「おてがみ」の文字を練習した、鉛筆でたこができるくらい

強く握りしめて何回も書いた。なんでだろ。

きっと、上手になりたかった

 

先生にほめられたかった訳じゃない、ただ練習してた

「本を読む」「秋」「麦」

これも、なぜだか練習した。小学3、4年生

 

書道だって自分より上手な子はごまんといた

そこで、いつものごとく、自分はやっても無駄なのか、という諦め

ただ、鉛筆で文字を書くのは好きだった

書道が好きな訳じゃない

なんなんだろ。自分勝手な好き。

 

この、4年の間にも新しい出会いはあったけど、

それは自分の頭を余計に悩ませるもの、

やっぱり本気になるのを避けている

 

いつかはくる別れも経験したけど、それは誰もが必ず経験するもの

でも、この出来事はでかい

今までの自分の生き方が間違っていたことを思わせる出来事

でも、間違いだった、とういうことで終わらせてはならないこと

 

 

ずっとずっと、怖かったし今も怖い

 

4年前の今日、

自分は結婚したあとで大嫌いな自宅に一人でいた

「ごーー」って音がして、建物が自分がたてないくらい揺れ始めた

 

あとは、おろおろするだけで右往左往

 

怖いというより、自分の鼓動の音に惑わされて動き回っていた

ダイニングの汚れた照明が波みたいに揺れてた

でも、なぜか自分は死ぬと思わなかった

 

ただ、他の人はどうしてるか気になって出窓から

真ん前の団子屋を覗いてみた

商店街がざわつき、団子屋のおばちゃんが

「大丈夫?大丈夫?みんな大丈夫?」みたいなことを

商店街の人たちに声かけてるのが聞こえた

 

私にじゃない

 

そのときも私は一人だった

 

災害とNHK

911のときを思い出した

 

家族で見てたテレビが突然切り替わり、

貿易センタービルに飛行機が突っ込み、

なんで急に映画になるのかと思った

みんなで、そのことを話してたと思う

 

そしたら、なぜかもう一機突っ込んで

ドミノ倒しみたいに、おもちゃみたいに、ビルが傾れ崩れた

なんか、綺麗に崩れた、簡単に

 

まさか、そこに人が乗っていて、ビルに人がいたなんて

思ってる人いたかな

 

311

 

NHKをつけたら、波

なんだろ、昼間だったし自分の感覚は通常だったから

あのヘリコプターから映し出される、のどかな田んぼや小さなミニチュアみたいな

お家に人がいるなんて思わずに見てた

車だって普通に走っていたよ?

上から見る波はスローモーションみたいで浅くみえた

ゆっくり走ってる車をのみこんでった

あっさり。

 

なんかよく分からなかった

 

映画じゃないの?って無意識の現実逃避と混乱でぼーっっとしながら

テレビを見てた気がする

それと同時に911みたいだなと思っていた

 

そこから、家族のことを思い出した

 

家族

 

そう、自分が混乱しているときは家族を思い出す

大切な人たち

もちろん、犬も

 

一瞬にして、そこにある現実があの、ビルの中や飛行機や津波

のみこまれたとしたら?

自分の気持ちは呑み込まれずに冷静でいられるのだろうか

 

想像しようにも想像しようがない

そんなの経験しないとわかりようがない。

経験したくないけど。

経験せざるを得ない運命だってあるってこと

 

それとは違うカタチで別れを経験したけれど

私には、それを受け止めて行くだけの時間が与えられていた

 

どのように、人の死を迎えていくということ

 

それを、今、どのように昇華して

自分の人生に上乗せしていくことができるか。

 

試されているんだと思う

 

人が死ぬということは、自分が死ぬということじゃない

自分を顧みるいうこと

こればっかりは誰かの真似をしても乗り越えて行くことはできない

 

正直に気持ちを吐き出して、ぶつけていかないと

自分が壊れてしまう

 

どんなカタチにしても、必ずくる死

 

きれいごとでもないし、それによって救われることも

どん底に落とされることもあるけれど

それぞれの方法でなんとか現実と向き合うしかない

 

その人の幸せの尺度を不幸せの度合いを

誰かと比較することをやめたい

 

世の中には、考えてもどうにもならないことだらけなんだけど、、、

 

それでも、今、まだ、自分は息を吸うことができている

 

いつか息を吐く必要がなくなるときがくる

そのときまで、ため息でも深呼吸でもいいから

息を吸って、吐きつづけるしかない

 

究極な考え方だけど、リアルの世界でこんな会話重すぎる

 

でも、自分のリアルの考えがこれ

 

人のために何かできる人間にまだなれていない

 

でも、いつか

何かのために何かをしたいのかもしれない

おごった人間