サイダーハウスルール

なんか見たような気がしてたけどちゃんと最後まで見てなかった

 

なんだろう

 

社会の中って、どこも、同じなのだと思った

 

限られて空間の中で限られた人と接しながら、生きて行く

 

それって、家庭でも会社でも病院でも

どこでも同じ

 

その場所で自分がどのように振る舞うかっていうだけで

 

その場その場でルールがあって、

雰囲気があって空気があって人がいて

 

それが異常だとしても、その中ではそれが当たり前で

 

外側の人間には見えないその中だけの世界

 

親に捨てられたりとか、幼少期に受ける傷は

どんな些細なことでも 小さな子どもの心で理解して

受け止めることは

できない

できたとしても、それは生きにくさに繋がる

 

傷は、大きな悪魔になって心に住み続けることもある

大人側に悪気がなかったとしても、その方がかえって分かりにくい傷となって

その人の性格を歪んで形成するように思う

 

健全な愛情を注いでるつもりでも、本人が気持ちよくなければ

それは、愛情とは違ったカタチで受け取られる

 

こどもは、嫌だと言える子もいれば、言えない子もいる

 

親や近くにいる大人に見てほしくて我慢して

喜んでもらいたくて 自分がこうすれば 笑ってくれると

ほとんどの子が考えているんじゃないかと思う

 

何が正常で何が異常かは他人が決めることではないけど

感じ合う本人たちの間で、押しつけでもなく、言いなりでもなく

バランスのある気持ちってほんとに難しい

 

そのときは良くても後になって、違ったかもと気づくこともあるし

気づかずに歪んだまま時間が過ぎて行くこともある

 

勇気を出して、外に出て行くことが、必要だということ

 

それは、どの親子関係にも言えることだと思った

 

故に自立

私の最大の目標でもあること

 

外の世界を見ることで自分が今まで生きていた場所を

客観的にみることができる

そこで、新たに感謝をするし、憎むこともある

 

ただ。

消えないことは自分はそこに生まれそこに育ったという事実

それは、どんな苦しいカタチだとしても自分で受け止める大切さがある

逃げたらいけない

 

そこに、最終的に戻るのか、戻らないのか、

どちらが幸せかもわからない

でも、自分で決めることに人生の意味があるのだっと思った

 

自分のいるべき場所、ではなく、自分がいたいと望む場所。

 

別れがあったとしても、きっと自然に足がその場所に向かうのだと思う