カルマ

カルマに責任転嫁したくなる自分。

信じるか信じないかは自分次第

 

原因と結果の法則

 

いつも、いつも、同じ繰り返しから脱却したい

 

今、人生で苦しんでいることは何かを明確にする

→結婚生活が息苦しい、目的がない

→嘘をついていることへの罪悪感

→相手を苦しめていることへの罪悪感

→執着心

 

その苦しみは、私に何を学ばせようとしているのか、

何に気づかせようとしているのか

→相手を幸せにするために自分を変えることは苦痛

→このまま一緒にいても何も起こらない、相手は変わらない

→離れるための決心・行動・後悔しない

→何を選んでも自分の責任、一緒にいる方が傷つくかもしれないことも知っておく

→努力しないまま別れを選んでいいのか

 

その苦しみは、私が持っているある観念(思い込み)「欠乏感」から

生まれていることを理解する

→相手と合わないなら離れるしかない

→相手の思うようになることで自分が自分ではなくなる

→相手の言う通りに動くことで責任を回避する

→私は、何もない、空虚な人間だ

→相手の言うことを聞かなければならない

→何かを始めるには相手の言うことを聞いて自分を押し殺すことも必要だ

 

 

苦しみを生み出している「観念」を見つけて

その観念を手放すことができたら、人生は驚くほど好転する

 

悩みや苦しみがない人生など学びも成長もない「生きる意味のない人生」

 

・・・・・

 

分かっているけど。分かっているというのは分かっているつもりであるだけ。

頭の中で考えているだけでは、自慰しているのと同じ

結局自分で自分を慰めることほど虚しいことはない

 

私は、結婚して子どもを産まなければならない。。

夫を幸せにしなければならない

ここまで一緒にいたのに離婚するのは、自分を否定することになる

 

これって、観念なのかもしれない

 

世間の同世代の人たちがこうしているから

こうでなければならないとか

 

親にちいさなころから「こうしなさい」と言われるがまま

何も疑わず親が神であるかのように

言うこと聞いていた気がする

 

そんな母はもういない

 

大好きだったけど、最期まで私のことを縛り付けてくれてた

守ってもくれていた

 

だけど、私には私の考えや悲しみがあることも分かっていてくれたのかな?

 

いい、悪いじゃなくて

 

理解されていると相手が感じなければ

それは相互理解にならない、承認欲求は満たされない

 

いくら占いをして、タロットをして、どんなことを言われても

私にはわたしの根源がない。

 

だから、埋めようとしても埋まらない欠乏感を、異常な依存で

埋めようとして、溢れ出して、心が壊れて行く

 

表面上は、能面かぶった無表情な人間

 

それでも、

愛してるとか会いたいと言われれば

どんな能面かぶった人間でも、通じ合った瞬間に

全てが崩れてしまうことがある

 

それがいいのか、悪いのか、分からない

 

裏切っていることは分かっている

 

でも、とうの昔から夫婦関係は、うまくいっていない

 

年齢だけ重ねて、下を向いて汚くなって行く自分がいるだけ

 

しょうがないじゃない

お互いよく頑張っているのに、良くならないんだから。

 

違う。

ただの自己満足でしているだけに過ぎない

 

私の生き方は、間違っていたの?

私だけを正せば全てはうまく行くの?

それなら、私がいなければうまく行くということと同じ?

 

あなたは?

 

人との関係を終わらすことは次に進むということだと信じて

今までも、人との交流を避けてきた

 

それが良くなかったのなら

離婚したら、もっと良くないような気がして

でも、もう向き合っても 向き合っても

私が相手に合わせて我慢するしか続ける術はない

 

それで私は幸せなのかな

それが分からないから苦しい

 

好きで愛していたらそれができるの?

 

好きだと思っても、愛していると思ったことはないかもしれない

年をとって、介護は出来ると思っていたけど

今は、もう分からない

 

多分、他の気持ちを知ってしまったから

 

だけど、今は全てをリセットする必要があるんだと思う

 

色々、急かして自分を縛り付けてきたことが間違っていたのかな

あと数ヶ月で36歳

 

いつも、いつも 何も変わらない自分がここにいる

自分を認めることは一生できないかもしれない