盲導犬

思い立って大宮の大好きな公園に行った

 

途中カレー味と黒蜜きな粉たいやき2つ駅で買って

おばあちゃんたちが並んでいる

あんなに大量にかってどこに行くんだろう

 

晴れている日はあの公園に、行かないともったいない気がして

平日の昼間の快晴

最高以外のなんでもない

窓際にガジュマル置いてきてよかった

 

公園に着くと、やっぱり遠くても来てよかったって思う

中央の芝生の日当りのいい場所に

100均で買ったレジャーシートを敷いて靴を脱ぐ

黒いハイソックスに穴が空いていた

ぼんやりその穴を見つめる

 

特別な時間

 

アイ 秦基博を聴きながら寝転がる

 

風邪が冷たいけれど、お日様の温かさが心をほっこりさせる

目をつぶると泣きそうになる

目をあけると、上に雲と木しかなかった ひとりぼっちのような気持ちになった

カラスが忙しそうに飛んでる

 

日が陰ると寒くて、手が冷たくなってしまう

帰ろう

立ち上がって面倒くさいと思いながらレジャーシートをたたむ

 

駅に着くともう学校帰りの学生やサラリーマン

金曜日だし、大きな荷物抱えた人でごった返してた

 

ホームにおりて

家に帰る電車の3号車に乗り込んで端の席に座った

 

しばらくして、人をかき分けてきた女性と犬の姿が見えた

その犬は赤いチェックのサンタさんのような洋服を着ていた

 

盲導犬

 

電車や駅で盲導犬を見つけると、、、

私はどうしても悲しくなる

だって、彼等はいつも好きではないであろう電車や駅のホームで

戸惑いや悲しそうな表情をしているように見えるから

 

ハーネス重くないかな、

混雑する駅で人に蹴られていないかな、

おなか空いてないかな、

おトイレ大丈夫かな、、、

 

犬の目線で駅を歩くことは、、、大変だよ

 

それに、どの仔もやっぱり、、戸惑いの表情が気になるの

 

人のためにはたらくこと 大切

それでも、私は動物の命を尊重したい、、、

 

個々の考え方は違う

生き方も、育て方も、思いも違う

 

盲導犬のあの子は4つ目の駅で立ち上がって、私の目の前からいなくなってしまった

立ち上がったとき、彼女のしっぽは、、

所在無さげに下がっていた

 

どうかあの子が、

おうちに帰ったら任務を終えて

たっぷり遊んで

たっぷりご飯食べて

笑顔になっていますように

 

彼女は、人のためにはたらいて毎日過ごしている

人の波にまぎれて人の足下で

誰にも声をかけられずただ、視線を感じながら

 

おつかれさま

そして、飼い主さんの目になって、案内人になってくれて

本当にありがとう

 

どうか彼女が、お家に帰ったら吠えたり甘えたり

笑っていますように

 

彼女の足が疲れていませんように

 

全ての人のためにはたらいてくれている動物に

感謝しかない

 

ほんとうに生きてくれてありがとう

みんな、全ての動物が生まれてきたことに意味がありますように

 

幸せでありますように

心から思う

欲求

我慢していることがある

考えていることがある

 

あり過ぎて動けなくて八方ふさがり

 

よって食欲が抑えられない

 

どこかの欲求を我慢して、押さえていると

他の部分で決壊する

 

アラフォーでこの食欲

ほんとは食べたい訳じゃないのに

いつも食べ過ぎておなか満腹で罪悪感のループ

 

決してまだデブではないけれど

だらしない

 

はーーーーーー

 

この押さえきれない欲求をなににぶつければいいのか

 

自分が気持ち悪い

 

ホリエモンによると考える暇があるなら動けと

 

昨日ざっくり包丁で小指を切った

こたつで寝て、寝起きで大根を切っていたとき

切れない包丁で大根を輪切りにしてたとき

 

料理は適当だけれど、昨日はさらに雑だった

指切り落とすかと思った

切れの悪い包丁だったので心配せずにいつも使用してた

 

でも、昨日は力任せに大根を切っていたので

本当に小指を切り落とすかと思った

深い傷だった

 

焦った、血をみて焦った

焦る自分はまだ、死にたくないんだと思った

洗いものにぽたぽた落ちる自分の血

 

気持ち悪くなった

精神的なもの

 

単なる切り傷なんだけど。

 

それでも、傷の処置をして食欲はないけど、胃の中を満たしたかった

何が私は満たされていないのかが分からない

胃が満たされても、舌が満たされても、私は何も満たされていない

 

絆創膏からにじむ血を見て、私の血は汚いと思った

 

欲求に左右される自分がいなくなってほしい

いなくなって欲しいという欲求はいらない

 

おなかがいっぱいは気持ちよくない

ベニーケー

聴くと思い出す

何年経っても無性に聴きたくなる

 

一人でイギリスに旅行に行ったとき

2007年の4月

しきりに会いにきてと言われて

わたしも放浪してた時期

 

知人が通う大学があるケンブリッジに2週間滞在した

そこの寮を拠点に電車に乗ってロンドンに行ったり

湖水地方に行ったり気ままに過ごした

いつも駅に車で迎えにきてくれた

 

電車の移動中は、いつもベニーケーを聴いていた

外国人の中に目立ったであろうアジア人のわたし

でも、旅行中誰もわたしのことなど目に入ってなかった

 

それでも、全く寂しくなかった

帰りたいと思わなかった

ただ、イギリスにいても自分というものは分からなかった

 

滞在させてもらった友人には本当にお世話になった

彼がいなければ一生イギリス行かなかったかもしれない

 

わたしが日本に帰国する最後の日

彼は中華料理を作ってくれた

可愛いコック帽子をかぶって、手際よくニンニクやらネギやら切って

中華鍋で麻婆豆腐を作ってくれた

熱くて恥ずかしくて寂しくてあまり口に出来なかったけど凄く美味しかった

 

料理や食事って技術じゃなくて気持ちを込めるから美味しいんだって知った

 

帰りたくなかった

ヒースロー空港まで送ってもらった時の記憶がないけど

飛行機の中、わたしは泣いてた

全ての旅を終えて気づくなんてね、ありがとうって。

 

ただただ泣いていた 理由はわからないけど寂しくて

もう会えない気がして 帰りたくなくて

それでもわたしは今の生活を選んだ

なぜかわからないけど、外に行くことを選ばなかった

 

今があるのもわたしが選択した結果の今

 

今、近くで夫が飾ったクリスマスツリーがサンルームで光ってる

 

幸せなんだと思う 無理矢理そう思おうとしている

でも、それはわたしが望む幸せとは違う

 

どこか遠くに消えたくなる

ベニーケー聴きながらそんなこと考えるクリスマスの夜

 

あの頃に戻りたいとは思わないよ

あの人に会いたいとかもない

それでも、どうすればいいのかわからない

誰かが助けてくれるわけじゃない

占いの結果・人魚

占いに行った

限界だったわたしからの連絡を察して

友人が教えてくれた場所へ

導かれたのだと思う

 

結果わたしは前世が人間ではないと言われた

 

激しく同意できた

 

石とか人魚とか人間ではない生物?だったと

とにかく足を持たないものという感じ

石はほんとしっくり来た気もする

 

調べると人魚は結構いるらしいのだけれど

 

幼いときから鏡を見てても、いくら自分の顔を覗き込んでも

自分ではない気持ちに駆られていた

わたしはこんな顔だったのかと。

 

その理由がそんな言葉でつながり

納得出来てしまった自分は弱い

占いって半分は本当だと思う

 

占ってもらう側がききたい言葉を探しだして、

その点をつないでくれるのが占い師さんだと思う

 

わたしは太陽星座が射手座 上半身は人間で下半身が馬

前世が人魚 上半身が人間で下半身が魚

 

なんなのこれ、、頭と身体が一致していない

 

九星気学では一白水星 水の星

西洋占星術では射手座 火の星

矛盾してる

 

そして、酔っぱらいのような星のもとに生まれていつも

ぼーっとしていると言われた

 

あたっている。。

 

気持ちが自分の体の中に収まっているのか、収まっていないのか 分からなくなる

 

だから、いつも自分を探している

自分という入れ物(身体)に自分の心を

とどめておくようにもがいている

 

それが溢れ出たり 封印しすぎると 思考が停止して精神が死んでいると思う

 

人間になったのが初めてだから夢見がちで

他者ができる今の時代に沿って生きることができないと

 

当たり前の仕事・家事・子育て。。

それだけをこなして同じように生きて行くことは苦痛以外のなんでもない

 

そんな自分を責めてる 人と同じように生きられない でも才能もない

生きづらかったでしょう、、と言われた

 

でも、幸せになる方法を見つけてそれを選んでいいと

自分が幸せになることが周りも幸せになると

人とハッピーになる方法を共有して行くことで

自分も幸せになれると言われて

 

泣いた

 

間違っても癒し系や悲しみ系に進んではいけないって

心が折れてしまう

間違っていた、そちらの面ばかり見ようとしていた

 

その占い師の方は、泣いて謝る私をみて

魂が触れたんだから、当たり前の涙ですよと

言ってくれた

 

なんだろう、うまく言えないけれど

色々な点と点と集めて

自分で線を引いて

自分で泣いて笑って

でも、時々は人の言葉を信じて

自分を作り上げている作業をしている感じ

 

それが例え嘘かもしれない占いだとしても

わたしは小さなときからそれが好きだった

 

だから、自分の好きな感覚を信じる

 

心と身体と感情と頭がバラバラだと言われた

 

バラバラな自分を癒すことが先決だなと

 

人魚は美しい物が好きで 好奇心があって でも人間ではない

ピノキオにも近いのかな

人間になるために試練があったり失う物があったり

 

物語とか伝説だとしてもわたしの心には響くものがある

 

時間がかかりすぎてるけどそれでいいんだ

 

あとは、一緒にいて幸せなのかどうか。お互いが。

 

でも、なんかわかんないけど、今は感謝しかない

占った

稼ぎも少ないのに。

占いに行った
どうしてもじっとしていたくなくて
いてもたってもいられなくて

何を話すのかいつも決めては行かない
ただ、知りたくて自分のことを

いつもブースに到着すると汗だくになる
いつも金のミルク飴をくださる
いつも誰にも見られないやうにそこに入る
だって世間は昼休みの時間
わさわさした雑居ビル
水晶や御札が貼ってある

動かずに現状維持
結局は、八方塞がりのままだということ。。
まだ、塞がってますか、、、がっかりすぎる
辛抱って何もしないことなの?
ほんとに生殺しで生かされてると感じる

顔に英気がないんだ
肌荒れもすごい

私のそれがあけたら今度は夫が20年の暗黒に入るという恐ろしいことが待っているという事実

乗り越えられない気がしてならない
初め先生、違う星を見ていて
夫は再婚するほしだわ!と聞いて安心したけど違った

私は夫を幸せにしてあげられることはできない
痛感している もうできないの
でも夫婦ってお互い様なんだ
二人にしかわからないことがある
それにしても私はいい嫁、妻ではない
母にもなれていない

家事、料理、掃除はちゃんとしてもどうしても
夫の望む古風な妻になれない

私あと一年、何を志して生きればいいんだろう、、
まだ、この気持ちをくすぶったまま
大人しく内省するのか、、

今回は泣かなかった
でも、スッキリもしなくて途方にくれている

そして、その日の夜母の夢をみた
姉も母の夢をみたって
どんな意味があるんだろう

今でも母を思い出すとたまらない気持ちで
激しく声を殺して嗚咽を漏らして泣きたくなる

いなくなったという事実、
その月日を受け入れ、毒を出し続けている
そしてもう嘘は辞めたい

自分に嘘をつくことが1番心にも身体にも
良い影響を与えない

何かがしたい
本当の何かをしたい
生きてるって思いたい

いまは、自分本位に生きないと誰にも優しくできない
自分を愛したい

昔を振り返る

昔の写真を見ていてウルッとした

 

姪っ子たちの小さくてまるっこい写真とか

面白すぎて可愛くて

 

同時に姉たちもわたしも若くて

 

今は天国の母や祖母が当たり前のように映っていて

 

その当たり前がいまなくなって

今の当たり前がここにある

 

その頃のわたしは30代なりたてとかで

今やもうアラフォー

 

早いというか、何も決断出来ずに今を過ごしている

 

でも、心のどこかでもうそろそろって感じている

 

なんだろう

 

幸せを願うことが苦しみというこの生きる上での本能的な欲望

欲望に忠実なら幸せなのか

 

考える暇をなくしたい

 

カールが歳をとって階段の上り下りがなんとなく辛そう

日中一人で寝ているんだと思うけどもうそろそろ

一緒に過ごす時間を増やして行きたいとなんとなく感じている

 

後悔がないように。

 

自分のこともできていないけど

何を大切に思うのか

何を失いたくないのか

誰と幸せになりたいのか

 

考え続ける

 

きっと昔の自分の中にその答えが見つかる

ショック

大切な友達の第一子誕生を知った

どうして喜びよりもショックが大きいんだろう

 

それは、わたしが子どもを持っておらず、幸せではないから

 

幸せって、定義はない

自分で不幸せを名乗っているだけのこと

 

頑張って生きよう

 

樹木希林さんが亡くなってしまった

なんかいつまでも生きていてくれそうな気がしてたから

変な気持ち

 

だって、ガンであることやご主人とのことで

悲観的な態度は全く見せなかった

本当に、そう思ってなかったんだと思う

 

自分の生き方に責任を持っていたから

強さをひけらかすでもなくシンプルで芯がある生き方

潔い

かっこ良すぎる

 

身近な家族は何かしらご苦労されたかもしれないけど

仕事も続けて、傷ついた姿を見せるわけでもなく

存在感も通常のまま

若者に向けた直筆のメッセージとか

ほんわかしてて

 

ほんとにあんな風に生きることができるひといないと思う

 

ほんとに死んでしまったのですか?

 

悲しいというより寂しいというより現実だと思えない

それだけ自然体で自分を生きた方だと思う

 

時間の経過とともに涙が出てくる

 

きっと、痛くなかったはずもないし

苦しくなかったはずもないし

それで、あの自然体

すごすぎる

 

わたしはどのように死んで行くのだろう

 

やっぱりさびしい