人の死ってなんだろう

 

私は何度そういう場面を経験しても

その見送り方や気持ちのやり場が分からない

親戚や親でもどこかで、自分は他人事のように捉えていることがある

 

最後の死に目に会えなかった、と後悔する人がいる

 

それって、本当に大事なんだろうか

でも、一緒に死のうと約束していた訳じゃない

見ててねって話し合った訳じゃない

 

死ぬ瞬間に立ち会おうとすることの大切さが

私には分からない

 

二度と会えない、会話を交わせない、触れることはできない

 

理屈では分かっているけど、

だいぶ後になってからそれはやってくる

「喪失感」

そこで初めて思い知る

 

何かしてても、何もしてなくてもそいつはやってくる

 

泣いても、気持ちは晴れない

願っても、それは叶わない想い

あれだけ憎くて、嫌だと想っていたのに会いたい、でも会えない

 

人間て都合の良い生き物なんだ

 

動物のこと、魚のこと、自然を、殺して生きているものから

命を頂いて生きている

 

人間だけじゃなくて

生まれるときも、死ぬときも、一人

でも、死ぬときは見送ってもらいたいと、誰もが想っているのかな

 

病気であることが先に分かって余命が分かるということは

残された家族にとっては残酷だけど

本人はどのように生きようと考えらえる、

家族はどのように見送ろうと考えられる、

一つの転機なのかもしれない

 

これは自分が経験したことのない恐怖や不安、孤独だから

本当に勝手な意見だと思う

 

余命を宣告されたら、絶望しかないかもしれない

自暴自棄になるよぜったい

 

でも、自分の気づかないうちに事故などで死んだら?

見られたくない日記もあるし、

写真もあるし、

言えない過去もたくさんある

それに、魂は、肉体は自分の死を受けれられるだろうか

 

なんで、いま私はここに生きているんだろうって考える自分は

考える余裕がある暇人なのかもしれない

 

愛している人がいる

相手が死ぬとき、自分が死ぬとき

その知らせが届くことがなければ

一生その人の心の中で、私は今のままで

生き続けるのかな

 

どれだけ、嫌だとか憎いとか、愛しいとか会いたいと思っても

どの自分が相手の心に残るんだろう

 

愛してるってなに?

自己満足と独りよがりと、相手のためにって思い込みかもしれない

 

でも、自然とその言葉が口から出てくるとき、

私はいつも泣いている

 

何の涙なのか分からない

誰を思っているのか分からない

 

相手のために泣いているの?

自分のために泣いているの?

だれのため?

 

愛と死はいつも隣り合わせだと思う

 

死ぬときになって、愛していたと言えるのか

言う相手が目の前にいるのか

 

死ぬときにしか分からない

 

タイタニックだって小林麻央ちゃんだって

死ぬ間際まで愛されていた

それに、本人も目の前の人を愛しながら目を閉じた

 

全てがそれで昇華されるんだから、愛って凄いと思う

理屈じゃない、これは。

 

この意味を、案外世の中の人は知っているんだろうなと、最近思う

 

私の人生はあと残り、どのくらいなのだろう