素敵な人

子どもがいない私には
子どもが何人もいて、若々しくて美しい女性を
見かけると釘付けになる

土曜もそんな人を見かけた

子どもたちの音楽発表会

気乗りしないながらも
子どもが何かを一所懸命に取り組む姿を
見るのは実子でなくても可愛い
幸せな気持ちを分けてもらえる

そんなわけで、お呼ばれ

会場は、やはり自分は親でもなく祖母でもなく
でも年齢的には子どもたちの親世代

複雑な気持ちで、席を探す

周りは賑やかで子どもたちも走り回っている

案内された席は真ん中

前には、園児二人と見に来ている
髪の毛をポニーテールにして
黒いハイネックの上から大きなネックレスをつけ
若々しくて年相応な女性がいた

子供の一人はやんちゃな男の子
室内が暗くなり演奏が始まっても
騒いでいる

その子のお姉ちゃんと思われる上の子も
席を立ったり座ったり

それでも、周りに迷惑をかけるほどではなかった

私が印象に残ったのは
その子たちを暗闇の中で見つめる
その女性の横顔

穏やかで優しくて演技でもなく
微笑みながら子どもたちを注意しながら
静かになるよう導いていた

姿勢がよく、品のある笑顔や接し方

よく見る自分ファーストのママでは
なかった

そんなママの方に、ときおり下の男の子は
抱きつく

男の子はたぶんママには似てなくて
ぶちゃいく

それでも愛情いっぱいに、
経済的にも余裕に育てられてるからだろう

表情はクルクル変わり満たされている

第一部がおわり休憩になってその親子は
席を立った

演奏ももちろん聞いていて壇上の子どもたちも
可愛かったが
わたしは終始その女性に見とれていた

彼女は愛されているし愛しているし
与えているから満たされていて美しい
人のためになることが自分のために
生きているのか

その人のこと何も知らないけど
そんなことを勝手に妄想して
すこし、切なくなった

私が結婚してすぐ子どもが出来ていたら
今壇上にいるこの中に自分の子どもが
いただろうか

そんなことを思うとこの数年のわたしは
生きているようで死んでいた

これは、私たちにしかわからない

美しくて素敵な姿の人には必ず
そうなる理由がある

私が今の状況になったことにも
必ず意味がある

その人から感じた気持ちは嫉妬ではなく
自分に対する情なさとも言える

さて、わたしはどうなりたい