ウィーン 3日目

f:id:pepusora:20190621213540j:plain無理してオーストリアのウィーンにきて3日目

家族がいるので宿泊費は無料である
その代わりと言ってはなんだが、
日本から頼まれた食材や調味料など
大量に運ぶ手配をした

それはいいとして、
やはり人の家に数週間お世話になるというのは
家族であってももう別世帯

とても、気を遣うものだ

もともと、パーソナルスペースがきちんと
確保されていないと私はイライラして居場所が
見つけられなくなる

きっとみんな同じだ

お世話になるから気にしないでといいつつ
ほうっておかれると寂しくなるのはわたしの
良くないところ

でも
誰とも話さないっていうのは
人間にとっていいことが一つもない
そう、寂しくて自分の存在価値が分からなくなる

欧州に来ると余計に感じる
ここの国の人たちはよく会話をしているから

男女関係なく。

お互い目を見て会話を楽しんでいる
私には、それがない
その相手がいない

ひねくれて自分から一人になろうとしておきながら
寂しくなる人は多いと思う
でもそれは実は裏返し

ホントはかまってほしいのだと最近気づいた

同じ状況だとしても
信頼できる安心できる相手がいて
愛されてる実感がある人は孤独にはならない

絶対的存在がいるというのは大きい

今までずっと一人でいいと思っていた

けれど、それは自分を幸せから遠ざける行為なんだと気づいた

それでも30数年間そうしてきた自分の責任だから

周りの愛情を受け取ることも捧げることも
出来ずにずっと苦しかった

家族といても夫といてもずっとそういう気持ち
今更戻ることは出来ない

これは、ワタシの責任
私が悪いという気持ち
人に対する態度に感じる罪悪感

誰の前でも自分を見せることが出来ない

そにうちみんな私にあきれて私のそばからいなくなるから

仕方ない みんな私よりも 大切なものがあるから

だから、一人でも大丈夫なように
勝手気ままに自由に生きたい

それなのに
私はこの遠い異国で一人で一体何をしてるんだろう

あんなに旅行が好きだったのに
虚しいんだ

ホームシックとは違う
自分のアイデンティティがないのが苦しい
帰りたいとも思わない
でもここにいたいとも思わない

家にずっといるのは申し訳なくて
無理して用事を作って外に出た夕方
これから雷雨らしい

欧州の昼間は長い

一人、美術史美術館と自然史博物の間のベンチに
座り冷たいサンドイッチ食べて虚しくなった

一つで良かったけど2つ食べきった

明日は何しよう

子どものいる家庭の日曜日に
子どものいない主婦がおせわになると
どうしても、家族の邪魔をして申し訳ない気持ちになる

この気持ちになるわたしが悪い
わかってるけど いつも心が悲鳴をあげる

心から楽しみたい
心から受け止められたい

でもその手を振り払ってきたのは
他でもない自分

その報いがジワジワと自分の心を締め付ける

わたしは心の底から孤独な人間

電車の中で愛おしそうにソフトにキスをする
地元の男女
日本で言うバカップルなんだろうけど
日本より自然体に見えるのは、見た目の問題なのかな

わたしは、、
ただ、、
受け止められた証を感じたいだけ
なのに
孤独しかなくて泣かないので精一杯

あと10日もある

楽しもう

サウナでの利権争い

平日の昼間
女性サウナの中には主婦とおぼしき人や
高齢者が多い 

当たり前

働いている人は会社ですから

仕事に対して劣等感のすごい自分は
とにかく働かない日は銭湯や
日帰りサウナに行きまくる

とにかく行きまくる

一種の依存と思う 

やることたくさんあるのに
まとめたり整理したりしたいことを
ほっぽらかしてサウナのある銭湯や温泉にいく

時には電車賃かけてでも行く

そこまでして行く価値がある

しかし、そこに集まるのは時間がありあまる
常連として幅を利かせる人が多い

まあ、みなさん我が物顔なのです

私より年上と思われる40代?らしき女性軍は
グループができている
行く曜日を約束してたり施設も違ったりするらしい

私が行くとこ行くとこで遭遇する

みんな、ひっつめ団子頭にして
やたらと痩せている
痩せているのが美徳なのだろうか

そして。
共通点としては、
声がでかい
声がしゃがれてる
みなで、足つぼを棒でおしている
お尻の下になにかマットを敷いている。。
そして自分たちの場所を陣取る、棒を置いたままとか。
致命的なのが
声がデカイのにダブル不倫をしていることを
高々と話している。。
などなど

と思いきや一方では
とどのようなおばさんが寝っ転がっておる

また一方では
入り口のお気に入りの場所を陣取るのに命がけの
おばあさんが争っている
そして、誰もが知ってるニュースについて
事細かに説明をしている

皆共通しているのは
汗だく

声がデカめ

争いは直接見たことがないのだが陰口などは
多い
見知らぬ人のマナーについてとか

つい先日ついに、現場を見てしまった。。

40代のひっつめ軍団がいつもと違う施設におり
またか、と思いつつ
自分は自分のペースで
サウナに入り汗を流していた

すると、いつもいないおばあさんが例の入り口付近
に座っていた
そこはいつも、違うおばあさんの指定席化している

ひっつめグループは例のごとくしゃがれた声で
サウナ内の真ん中であぐらをかき
足つぼをおし
酒か男の話に花を咲かせている

うるさいけれど、自分としては聞かぬ存ぜぬを
通しておる

サウナは空いておりその3組しかいなかった

おばあさんがタオルを置いたまま出ていくと
ひっつめグループは、

おばあさんがチラチラみてるのよね

なんなのかしら
話し声がうるさいと言う人がいるらしいんだよね*

みたいな、会話をしている

おいおい、そりゃ当たり前ですよ
だってうるさいですよね?

という心の声を抑えつつ、一人ストレッチをする私
ちなみに、裸。。

何度か出たり入ったり水風呂入ったりするも
特に混雑もせず、私以外は自分の場所を
相変わらず物で陣取っている

ひっつめの二人が出ていき、おばあさんと二人きりになった瞬間。。

おばあさん

うるさいわよねえ、ぺちゃくちゃ。敷いてるタオルもびしょびしょ、未亡人じゃないのよ*

急に私に話をふってきた。。びびる
まあ、確かにうるさいよねえーと思いつつ
ただ笑ってやり過ごすわたし。。


そしてついに、事が起こる


ひっつめ二人がもどり
知り合いと思われるおば様が
一人サウナに入室
例のおばあさんの真後ろに座るやいなやデカデカと

おば様。
あらーこんにちはー久しぶりねー天気があついねー

ひっつめの。
おーこんにちはーふにゃふにゃ。。

と会話が繰り広げられると思われた瞬間。。

おばあさん

うるさい!!!真後ろででかい声でしゃべるな!!!さっきからずっと!*

おば。
何よその言い方、いきなりないじゃない。

おばあさん
自分だけの場所と思うんじゃないよ、うるさいんだよ、

おば
あらどっちがそう思ってるのよ、そんな言い方ないでしょ

おばあさん
うるさいんだよ!

おば
どっちがうるさいのよ、黙りなさいよ

おばあさん
そっちが黙れ!

おば
あーうるさいうるさい、黙ってー


みたいなやりとりが勃発

密室の汗だく、みんな裸にタオル1枚で、、

その間ひっつめ無言

なんだかなー面倒くせーなーと思いつつ
私はひとりせっせと端でストレッチ


無関係を決めつけた私が感じたことは
ここは誰のものでもない。。
どっちもみっともない。。

気持ちの良いはずの場所が憩いの場所では
なくなっている。。
そう、不快 ザッツ不快

何なのかねえ
わたしだってやせ細ったしわがれた声の
ひっつめたちの不倫を自慢してるかのやうな
話を聞きたかない
でも、聞こえちゃう

ニュースの話も知ってるし、うるさいと思う
でも、聞こえちゃう

寝っ転がって邪魔だけど他に場所があるから
我慢して見えないふりしてる
めっちゃ、デカイから、視界に入りまくるけど。。

色いろ自分なりに気持ちを決め込んで
リラックスしにきている
純粋に汗を流しに来ている

どうしてみんな平等とか思わないのかなあ
密室あるあるなのか
人を狂わせる密室

当たり前とか習慣も時には見直す必要がある

だってさ、男性のサウナとか銭湯も
発展場?がすごい盛んなとこもあるとか

モラルですよ
性的差別ではなく。

人間自分のことだけしか考えないで
欲を満たすだけの行動をとると
とても醜い
いくら痩せてようが
自分より長く生きていようが
つまらない人生なんだろなと
感じる

私が言うのもなんだけど。

私は偉くもなんともないけれど
最低限の公共の場でのマナーと
私物化にしないことだけは守っているよ

たってお風呂が好きだから

そんな感じです

誕生日

今日は母とドナルドダックの誕生日

生憎の雨って天気女のお母さんらしくない

お母さんお誕生日おめでとう

もう会うことは出来ない
直接会話することは出来ない
それを考えると
時々耐えきれなくてたまらなく話をしたくなって
声を殺して一人で泣くことかある

そんなときはそんな自分を赦す

会いたいと想うのはお母さんと出逢って励まされ
親しかった人みんなが思う気持ち

自分だけじゃない

不可能なことに執着しても何も起こらない

わたしは貴女に何も出来なかったけど
今も最低な人間だけど
生きているだけで幸せなんだと
言い聞かせて生きているよ

わたしはわたしの道を見つけたい
いつか幸せだから安心してくださいと
報告したいよ

そんなことを思う憂鬱な雨の日曜日
貴女の誕生日があるから今の自分が存在している

自分を好きになり人のために生きたい

お母さん、いつもありがと

あの日

「どの仔がいいかなぁ」

真剣なまなざしでパソコン画面を見つめる母の言葉

 

あれは13年前の初夏

ぎょっとする見た目のそいつはうちにやってきた

そいつはカール

 

そのころの我が家は2頭立て続けに犬を亡くしペットロスに加え

認知症の疑いのある祖母を家に迎え

家の中は寒々しく重たい空気だった

笑顔がなかった

 

特に母は家の中で一番犬や祖母と過ごすことが多く

今思えばどれだけの寂しさや心労があったことだろう

 

そんな母がいつにも増してパソコンを眺めることが多くなった

保健所にいる犬

飼い主を必要としている犬や猫たちがいる保健所や

動物愛護センターに載せられている犬の写真を見ていた

 

保健所

それはわたしにとってはトラウマだった

小学生のとき家族で保健所のVTRをみてその存在を知った

犬や猫を殺処分するという仕組み

 

その映像の中での犬たちが脳裏に焼き付いている

カメラマンに向かって懇願するように吠える犬

諦めたように寝転がっている犬

端の方でうずくまり、怯えた表情の犬

ひっきりなしに歩き回る犬

 

バラバラの犬種

緑のビニールのような床に鉄格子のような柵

床には糞尿で濡れたように見えた

 

それぞれの犬には名前ではなく番号が与えられていた

猶予の日数が近づくごとに犬たちは強制的に隣の部屋へ一歩一歩進んで行く

 

隣の部屋へ進みたがらない犬

楽しそうに進む犬

 

ナレーションでは進む先にある部屋の説明をしていた

ガス室 安楽死

 

猶予の日までに新しい家族、飼い主が現れなければ彼等は

その部屋に導かれる

保健所で働く職員はモザイクがかかっていた

 

その日にその部屋にいる犬猫は

ボタンを押すだけでガスにより殺されることになる

その部屋の柵がおりた瞬間

 

助けたい 助けられない 悲しい 辛い

 

幼い私の頭の中はパニックになり、気づけば黙って号泣していた

とめようにもとめられない涙はなんなのかわからなかった

自分には何も出来ない不甲斐なさ

大好きな動物が殺される事実

 

何も知らず喜んでガス室に進む犬の姿は忘れられない

 

そんな保健所のホームページになぜ母が行き着いたのかは分からない

 

それでも、日々の生活に変化をと母は前向きに新しい犬を迎え入れる気持ちになっていた

 

ホームページには様々な犬の写真が掲載されていた

仔犬から成犬、洋犬から雑種、小型犬から大型犬

母と私は何日も何日もホームページを見ては、どの犬がいいか迷っていた

 

この犬がいい!という思いに至る前に、説明会を受ける必要があり

まずは予約をし現地に行くことにした

 

説明会当日、母の運転でわたしたちは都内の某保健所へ出向いた

わくわくとドキドキと保健所のあのトラウマの映像を思い出しながら

複雑な気持ちでいたことを覚えている

 

初めての保健所

入ってすぐにたくさんの犬の写真が貼ってあったと思う

飼い主さんが決まった犬や猫たちだ

それを見たのと同時に、見つからなかった犬や猫たちはどうなったのだろう

 

昔心の奥に刺さったままの釘が、締め付けられた

 

2階に上がり説明が始まる

他にも数名の家族がいたと思う

なんだか、こうしてここにいる犬や猫に関心を持っている人が

他にもいるのだと思うといくらか安心した

 

説明では、犬や猫の飼い主、家族になることや迎える資格がある人について

説明をされた

狂犬病の注射や病気を持っている仔への対処

命を育てるということ

同意書にサインをした、そこに迷いはなかった

 

亡くなった2頭の犬への想いが甦る

彼等は幸せだったのだろうか・・・

 

1時間くらいの説明がおわり、いよいよ今いる犬たちと外で触れあう

 

どれくらいの犬がいただろう

10数頭だったと思う

ゲージの中から吠える犬もいれば、黙って抱かれている犬もいた

また、離れた外の柵の中には2頭の大きな雑種の犬もいた

 

祖母がいるしおとなしくて小さなチワワがいいかな、

父は走るのが好きだから大きな雑種犬がいいかな

でもうちは狭いし。。

でも、そっちの仔もかわいいね

 

母とそんなことを話しながら、最終的には「チワワ」を候補に保健所を後にした

家に帰り父にチワワや雑種の話をした

父は小さな犬には興味がない様子だった

 

わたしは、どの犬がいいか選べなかった

1頭を選べば他の犬を助けられないという気持ちが大きかった

 

数日後、母と父はチワワを迎えれるため再度保健所へ出向いた

保健所へ行くと聞いて、用事があったこともあったが

選ぶ自信のなかったわたしは決断することから逃げていた

 

その日の私は何も手につかなかった気がする

チワワがうちにくる!どんな風にうちが変わるだろう

先代の2頭がくるときのように胸がざわめいて気持ちが焦った

早く家に帰りたい。

 

「ただいま!!!!!!」

 

急いで2階のリビングに駆け上がる

手作りの柵が窓際に設置され家族全員が集合してその柵を囲っている

そこにいたのは、、、

 

 

!?

毛むくじゃらの見たことのない生き物

手足が長くて、毛で顔を覆われて目が見えない

でも顔が大きい。。

毛の色はグレーのようで薄茶色で

よく見ると目が見える その目はオリーブグリーン

??

チワワとはかけ離れている

むく犬ほど大きくはない

雑種でもない

どちらかといえば洋犬

ふせをしているが、間接が柔らかいのか後脚は蛙のように伸ばしきっている

人に囲まれても「ワン」とも「ウー」とも言わず

ただ暑そう「ハァハァ」とベロを出しておとなしくしていた

 

 

何この犬。。。。

 

私「チワワは??」

母「いたんだけど、この犬面白いからこの犬にしちゃった」

私「え?」

母「何この犬!って感じしない?笑」

私「うん。。でも雑種のこもいたでしょ。。」

母「いたけど、今日パパと行ったらさ、この犬がいたのよ。端の方に。

 ぶっとい金属の鎖で繋がれて他の犬と離れたところに。行ってみたらさ、

 何の声も発せずにただただ後ろの二本脚で立ってこっちに向かって立ってさ。

 でも吠えないの。見た目もこんなんでしょ。他の人も一切この仔に近づかなくて興味 なさそうでさ、

 けどなんかこの仔面白くて。この毛むくじゃら!

 それにパパにあいそうかなぁって。」

私「この犬は何犬なの。。」

母「保健所の人いわくミニチュアシュナウザーだって 笑」

私「全然ちがうじゃん!絶対ちがうよね。。。ミニじゃないし。。」

母「保健所の人がそうだっていうんだからねぇ、、年齢は推定1歳でこの間の

  説明会のときは去勢手術して外に出せなかったんだって、それで今日術後

  初めて外に出たみたいよ」

私「ほんとヘンテコな犬だね、なんで保健所にいたんだろう」

母「これが前の飼い主が持っていた首輪とリード。あと、えさ入れもあったみたいよ

  車で移動してうちにくる間も全く吠えないのよ、おトイレも粗相しないんだよ」

 

そうしてみた首輪とリードは青いスヌーピーの物だった

 

飼われてたんだ。。それで保健所に持ち込まれたんだ・・・

おトイレもしつけられて、おとなしいのに

こんなに可愛い首輪とリードなのに、、可愛がられてなかったのかな

 

一気に目の前にいる変な犬の過去を思った

保健所に飼い主に連れてこられた現実がこの仔にはある

 

胸に刺さったままの釘がさらに奥に埋め込まれた

 

見た目がおかしな犬を目の前にびっくりした気持ちでしかなかった

 

私「名前はきまったの?」

母「うーん、マイケルとかポールとかウィリーとか・・」

私「毛がカールしてるからカールでいいんじゃない?」

皆「いいんじゃない、それ!」

 

こうして安易な理由で彼の名前は「カール」に決まった

その瞬間から、私は自分に弟が出来たと思っている

名付け親だ

 

人間の愛情を知らずに仔犬時代を過ごしたと思われる

カールと慣れるまでの壮絶な生活は2年ほど続いた

彼の毛の奥の目は獣だった

吠えないけれど、外の世界を全く知らない瞳、野獣

散歩したことなかったんだろうね

 

父と母と私は出来るだけ愛情をカールに与えていたと思う

カールの仔犬時代は暗闇だったのかな

 

そんなことは分からないけれど今は離れて暮らす耳の遠くなった今のカールに

耳元で私はいつもこう言う

 

「カールうちにきてくれてありがとうね、大好きだよ」

 

聞こえてるのか分かってるのかわからないけど。

 

4年前に母に癌が発覚し緩和病棟に入院していたときもカールは病室に来た

入院中の母にラインでよくカールの写真を送った

 

母メッセージ「カールはほんとにかわいいねぇ」

 

他界したときもカールは葬儀に出席し、母の最期に対面した

母を見て何かを感じただろうか

 

あの夏の日、父と母が保健所でカールを見つけ連れてくる決断をしたから今がある

 

カールの誕生日を誰も知らない

生まれた場所も知らない

ほんとの名前も知らない

生まれて1年どのように過ごしたかも分からない

それから13年

 

兄や姉、わたしも結婚し離れて暮らす

カールがいるだけで、どれだけの辛さが分散されて

一緒に散歩をすることで笑顔になれたか分からない

 

動物と人間は複雑な関係で共生する必要がある

ただ可愛い、飼うだけではない

命をいただく事実もある

 

カールを見ているとどんな過去があってもたっくさんの愛情を注げば

変わることが出来るのだということが分かる

 

母が亡くなり実家の空気も変わりカールも歳をとった

それでも、家族全員で今を乗り越えるしかない

 

カールの誕生日を8月1日に決めた

それは出会った日

その日から彼を大切にするとみんなが心に決めていた

 

あと何年とは考えない、一緒にお散歩をする

それで会えるときは耳元でいつも「ありがとう」って伝えていこう

 

天国の母もきっとそう思っている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#「迷い」と「決断」

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どうして

心の奥底にいつも怒りがあるのか

 

分かっている、幼少期のなにかの出来事を引きずっているからで

それがフラッシュバックしているからでしょう

私の場合は多分抑圧された感情がある

言いたいことを言おうとして遮られたり

無視されたと感じたこと

決めつけられたこと

こんな感じかな

 

きちんとカウンセリングや分析をしてもらったことがなく

いつも自分で勉強して自分を知ろうとしている

占いやスピリチュアルに頼って自分を知ろうとしている

 

仏陀によれば自分なんてものは存在しないのに

それを思うことは煩悩

 

分かっているけどそこまで達観出来ずに生きている

生きづらい

 

瞑想しても邪念しかない

 

きっと私の場合は逆だね

動きまくればいいんだと思う

ただ、そのスタートが見えない

ゴールも設定出来ていない

 

小手先の技術で適当に先に進んだら

また同じこと繰り返すだけ

やけどして身動きとれなくなってスタートに戻るの繰り返し

 

大麻で逮捕された有名人カップ

すごく、その弱さ、わたしは分かるんだ

大麻はやっていないが。。

 

二人の間に大麻があったとしても絆もあったんだろうと思う

共依存

一度これになったら離れるのは自分の分身、半身をとられることだから

死ぬより生きていることが辛くなる

 

でも人は一人で死んで行く

 

愛することと依存てどう違うのか私には分からない

また、人の幸せをのぞいて自分をのろった

ああなりたい訳じゃない、でも自分が幸せと大きい声でいないことに

後ろめたさがある

 

六本木アートナイトバンクシードキュメンタリー映画をみた

芝生のうえで

家族や子ども、友達同士にカップ

気持ちのいい夕暮れ

私は一人だった

 

どうしてなじめないんだろう、

 

幸せそうに笑っている人たちが嘘っぽくみえて、滑稽なんだ

自分がその中にいないから

 

いつか自分が笑顔に囲まれるときがくるのか

それはどこでどんなことで心から喜んでるんだろう

 

幸せはすぐそばにあるはずなのに。

 

いろいろな物全て捨ててしまいたい

何かがストンと

半年ぶりに 占いに行った

とても良く晴れて気持ちのよい平日の朝

春らしい

 

なぜ分かり合えないのか、一つの考え方として腑に落ちる結果となった

 

自然に笑い合っている若い親子連れや

カップルをみてなにか自分たちには欠けてると思ってた

 

自分が感じていた相手との違い

仕方ないと思ってお互いに無関心になっていった

過去の写真をみても表情のない二人

部屋にいてもテレビを見ても会話が弾まない

 

原因がなんなのか

分かってしまった

 

目を見つめて共感するということ

諦めたくなかった

でも、その気持ちを得たことは一度もなかった

 

涙することも一致しない

相手の涙を見ても共感できない、抱きしめてもらえない

 

ただ、どうでもいいことで誰とでも笑い合えること

それは、ほんとに誰でもいいから

もっと大切なことを共感したいだけ

 

一方通行

 

だから、もう諦めて背中を向けて裏切り続けた

その陰で幸せと同時に罪悪感しか感じていない

不幸に不幸を重ねて人を傷つける

 

それでも気づかれずどうにもならない

 

自己責任

 

常に自分を責め続ける選択しかしていない

 

彼が今まで生きづらくて傷ついていたことはあるのか

話したいし知りたい

ストレスはなに?

私といることなのか、、

 

一緒にいてもどうでもいいことしか出来ない関係を

わたしは望んでいない

一緒に未来を描きたい

 

あなたは、、?

 

考えれば考えるほど嫌いじゃないのに一緒にいるだけで

お互いが不幸になる気がしてしんどい

 

性格の問題じゃない

個性の違い

 

自分だけが悪いんじゃないかって

その傷を突っついてさらに傷から血が流れ出すような

行動で自分を癒し続けて

幸せなはずないよね

 

あなたは??

 

待っても聞いても何もしなくても、現状を見ないようにしても

もうただ、同じ空間一緒に過ごすことが辛い

子どもができたら?

子どもは幸せになれないよね、

 

あなたの全てを受け入れられない自分が一番悪い

 

別れること、

嫌いじゃないけど別れることって本当にある

本当に相手のことを考えた別離ってあるんだ

 

一緒にいた年数も

外野の声も関係ない

本当の気持ちから目をそらし続けると大切なものが

心からなくなってしまう

ごっそり自分の気持ちが失われて行く

 

ごめんなさい

あなたが本当に幸せで生きやすいようにサポートしていく自信がない