ヴィパッサナー10日間@京都

貴重な日々だった

実践し、体験しないとわからないとはこういうことなのだと感じた

 

自分の注意力散漫、弱さを知った

 

人に対する妬み、嫉妬のような気持ちがあることが

嫌という程分かる

 

考え方の癖も知る

 

「無常」

生きている中今はないと考えると

自分もその中にいていつかは消える存在

 

そう思えば、自分という存在を考えることほど無駄なことはない

 

瞑想、瞑想、瞑想

飽きると思ったが飽きるどころか

日々自分の弱さと対面し

説明しようのない涙を流し周囲の人の動きに敏感になった

 

行く前からの体調も、精神も不安定なままの出発

 

3日目くらいでくじけそうになったが

そこから時計を見ることを辞め

今が何日目か数え

頭に記憶、記録することを辞めた

 

そうしたら、気持ちがどこにも向かなくなった

 

時間を気にする生活って、楽しくないのだと感じ

異常なまでに今の時間が大切でいとおしい時間だと感じた

 

そんなこと思ったこと今まで一度もなかった

 

そう、今までそんなこと感じたことがなかったという気持ちが

何度もやってきた

 

生きているということは息を吸って吐いているということ

 

息を吐かなくなる瞬間その人の人生は

無常になり、魂はこの世から消える

生きていても無常、死んでも無常

 

息をすることが生きている証

 

だから、息に注目すること、自分の体の中に注目することが

どれほど大切なのか思い知らされた

 

何を口にして身となっているのか

 

わたしが呼吸しづらい理由も日々の生活の中に答えや要因が

あることに気づいた

 

それでも、それを改めるほどの決心は何かの

きっかけがなければ惰性のまま無常に今は過ぎて行く

 

もったいないことなどない

 

気づいたときにしたいことをすればそれでよいの

 

とにかく、続けること

やってみること

考えて言うだけとは違う生の行動や実践ほど

自分の身や本当の言葉になることはない

 

上辺だけの自分の言葉があさはかだったと改めて思う

 

10日間て、長いけど短い

その間に何が出来るのか

 

案外なんでも出来るような気がした

凝り固まったつまらない自分の常識を打ち破ればいい

 

ただそれだけのこと

 

寝る前に見る星空や流れ星

隣の人のいびき

暗闇で聴く蜩の鳴き声 30分間だけ

その鳴き声が鳥に変わる瞬間

目をつぶりほほを冷たい風が通り過ぎて行く

感覚はあるけれどそれを証明する術はない

もう、それはそのときだけしかない経験

 

同じときは二度とこない

 

いずれは全てが移り変わり消えて行くもの

 

怖がることもない

比べることもない

それが自然の摂理

 

当たり前の事実をそのことだけに集中して

それを知ることはなかなかない

 

なぜ生きているのか、なぜ生まれてきたのか

それを知りたいと果てしない疑問を問いかけるのと同じ

 

虚しいけれど生きてるってそういうこと

 

考えても考えても答えはない

 

みんな、どのように死んで行くのかが

どのように生きたいのかに繋がっていく

 

ほんとにただそれだけ